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「立松さんのあの笑顔にもう会えない」 天野祐吉、加藤登紀子ら追悼書き込み(J-CASTニュース)

 2010年2月8日に亡くなった作家の立松和平さんを追悼する著名人の書き込みが相次いでいる。天野祐吉さんや加藤登紀子さんらで、62歳という余りにも早い死に、「ショックで言葉を失った」という人もいる。

 コラムニストの天野祐吉さんは立松さん死去が報じられた9日夜、自身のブログに「さようなら、立松さん。」という記事を書いた。

■ニュースで知り「しばらく言葉を失った」

 亡くなったことをニュースで知り「しばらく言葉を失った」。立松さんとは、テレビなどで何度か一緒になった程度の付き合いだったが、それでも優しさとぬくもりのある人柄が分かったという。

 そして、こんなエピソードを紹介している。シンポジウムでJR東海の「そうだ、京都行こう。」というCMの話になった時の話だ。天野さんが、このCMは歴史ある京都だからいいのであって、「『そうだ、宇都宮行こう』ではピンと来ない」と発言した。すると立松さんが、「すいません、ぼくの郷里、宇都宮です」。シンポジウム終了後、立松さんに謝ったが、いつもと同じニコニコとした大らかな笑顔で許してくれた。

  「あの立松さんが62歳で亡くなるなんて。明るい、ぬくもりのあるあの笑顔にもう会えないのかと思うと、とてもさびしい。立松さん、ありがとう、そして、さようなら」

と書いている。記事には立松さんと天野さんが一緒に映った写真も掲載されている。立松さんの朗らかな笑顔が印象的だ。

■加藤登紀子「突然の死に、呆然」

 歌手の加藤登紀子さんも9日、ツイッターで立松さんの死について「ショックです」とつぶやいた。09年11月にイベントで会ったばかりで、「突然の死に、呆然」。「立松さん、お疲れ様! てんごくでゆっくりしてください!」と書いている。

 若手人気SF作家の小川一水さんも、ツイッターで立松さんに関するつぶやきを投稿した。小川さん自身は立松さんと会ったことはない。だが、立松さんが「ジャンプ小説・ノンフィクション大賞」の審査員を務めていたころ、小川さんの作品を評価し、それがデビューのきっかけになったという。「恩人の一人」だといい、「ご冥福をお祈りします」と追悼した。

 ツイッターの一般の書き込みでも、「独特の語り口が耳に残っています。突然の訃報にびっくり」「62歳。まだお若いのに、残念」といったものが目立つ。余りに急な死に驚く人が多いようだ。公式サイトに掲載されている、立松さんの生前の日記を見てみても、最後の更新は09年12月30日で、死の少し前まで精力的に活動していたことが分かる。

 立松さんは1947年栃木県生まれ。早稲田大学在学中に『自転車』で早稲田文学新人賞を受賞。卒業後は故郷宇都宮で市役所に勤務。やがて文筆業に専念。80年に『遠雷』で野間文芸新人賞を受賞し、以来文芸界の第一線で活躍してきた。栃木弁の朴訥(ぼくとつ)とした語り口で知られ、「ニュースステーション」(テレビ朝日系)などテレビ番組にも数多く出演していた。2010年1月から体調を崩して入院、多臓器不全のため2月8日に亡くなった。


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